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 ✤ ソロマリSS
Posted on 10.2006

特別になりたいと思う事。

それはずっと、あさましい願いだと思ってた。

今、全てが他者と等しくあるべき場所から放たれて、

わたしは、いつか、あの人の特別になりたい。







+++ フォロー・ミー +++


「今日は何にしますか?」
「おむらいす。赤い方を頼む」
「はいv待っててくださいね」
「腹は空いておるが、ゆっくりでも良いぞ。待つ時間も楽しいからの。急いで火傷などせぬようにな」

ここは、騎士院ではなく神殿。
周囲に『新婚さんかいっ!』とツッコめるキャラがいなかったのは、幸い。

ふわりとした卵でライスを包み、フライパンを持つ手首をとん、とん、と叩いて形を整える。
お皿に移し、仕上げのケチャップで(つぃー)っと絵を描く。
そして、ほこほこと湯気が立つ出来たてのそれを葵のテーブルへ。

「はい、おまたせです」
「はは、今日は猫の顔か。おぬしはほんに手先が器用じゃの」

葵は切れ長の目をしているので、にぱっと笑うと猫のような目になる。マリンはその顔がとても好きだ。

「ところで、次の休日は空いておるか?」
「あ、今度の休日はソロイさんに補習をすると言われてて・・」
「何じゃ、ソロイ殿はおぬしには熱心じゃの」
「わたしの出来が悪いだけですよっ。実は・・これで三度目なんですよ『補習しましょうか』と言われるのは」
「ほぉ・・それにしては、嬉しそうじゃの」

実は、嬉しい。そんな気持ちが顔に出ているのなら、とても恥ずかしい。
マリンは赤くなった頬をぺちぺちと叩いて引き締めた。


「のう、ウチの二人ではダメか?」
「はい?」
「アークとリュートじゃ。どちらも若い女子から見れば中々の筈。どうじゃ?」

同じく若い女子である葵から見てはどうなのか、は、ともかく、葵は身を乗り出し、自信満々で切り出した。
その勢いに押され、椅子からひっくり返りそうになった所を葵にぐいっと引き寄せられる。
腕を掴み、腰に手を回す力強さはさすがに『噛まれっぱなしの人生』が待つ女。

「やれやれ。ここでおぬしが転ぶと、私のせいになるのであろうよ」

ふふっと笑うその様子がいちいち男前で、マリンは再び赤くなった頬を叩かなくてはならなかった。


+++


「おぬしら、可愛い可愛いと皆して騒いでおったではないか!」

騎士院の廊下。
今朝から捜していた二人をやっと見つけて引き止め、話している内に葵は声を荒げた。

「だからって何でオマエに『マリンをデートに誘え』なんて命令されなきゃなんねーんだよ」
「命令ではない。頼んでおる。次々週の休日は、私はどうしても外せぬ用がある。だから、代わりにおぬしらに頼んでおるのじゃ。
 もし、ソロイ殿が先にあれを誘ってしまえば、あれの頬は腫れ上がるわっ」
「ソロイ様があいつを殴るっての?んなわきゃねーじゃん」
「そうではないのじゃ!」
「まあまあ、葵さんもどうしたの?
 ソロイ様、確かに熱心だけど、それはマリンさんが星の娘候補で、その・・葵さんやアクアさんよりも勉強が遅れているからだと思うよ。
 だって、ソロイ様だし」

ソロイであるという事。
浮ついた噂1つ立たない理由は、『ソロイである』から、なのだろう。
三人は言葉にこそしなかったがそう思った。 
この一言で皆を納得させるソロイである事とは一体・・・

不自然な沈黙の後、葵はくるりと二人に背を向け、ひらひらと手を振った。

「よい。他を当たる。一人くらい本気の者がおろう。今なら私の後押しという特典付きじゃ」
「待てって。オレらはお前に言われて動くのが気にくわねーって言ってんの。オマエも何でやり手ババアみてーな事すんだよ」
「すまんが、言葉では上手く説明は出来ぬよ。何故と問われても、ソロイ殿はマリンに近しい存在となって欲しくないとしか言えぬ。
 今の私は視界が悪い中、目をこらしているようなものじゃ。周囲に漠然とした事が多過ぎる」
「オマエね、すげー余計な心配。ソロイ様の頭ン中はプルート様と仕事の事しかねーじゃんよ」

葵にはそう言いつつも、アークとリュートは神殿の様子がおかしい事を感じていた。
その原因はマリンでない。けれど、少しは、と、そう感じていた。
神殿に限った事ではない。魔法院も、ここ騎士院もそれは同じだ。

世界に満ち始めたこの不安定な感覚は、何だろう?


けれど、まだ、誰も口に出せないでいた。


+++


『ヤァヤァ♪』
「きゃああっ!?」

白い円柱の影からひょっこりと現れたボビーに驚き、マリンは大きく跳び退(しさ)った。
同じ神殿内で暮らしているとはいえ、この頃は出現率が低かった為、すっかり油断をしていたらしい。


「んーんん♪いい反応だねぇ」

愉快そうに、満足そうに、シリウスも顔を出す。

「誰か捜していた?」
「え?わたしが、ですか?」
「そんなカンジだったよ」
「いいえ?」
「じゃあ、無意識だ。無意識に彼の姿を捜している♪それが恋というものだからねぇ~」

その一言に、カッと顔が赤くなる。
誰にも言っていないのに、何故、皆(知っているよ)な態度なのか。
もし、本人に知られようものなら、

ものなら・・




間違いなく怒られる。




「赤くなったり青くなったり忙しい娘だねぇ。まあ、安心おし?当の本人の耳に入れるような怖いもの知らずはいないから」
「違いますからっ!シリウス様、誤解してらっしゃいます。わたし、違いますからっ」

シリウスに知られるとろくな事にはならない。マリンはそう直感した。
力いっぱい否定するその様子は、肯定しているも同然ではあったが。
しかし、

「ふうん、確かに、そうかもねぇ」
「へ?」

続いたシリウスの意外な言葉に、マリンは間の抜けた声を出してしまった。

「だって、君を連れて来たのが彼ではなく、私だったら、君に懐かれたのは私かもしれないじゃないか♪」
「懐・・?」

それは、ソロイには大変不似合いな言葉だった。
解さない異国の言葉を聞いたようなマリンの顔を見て、シリウスは再び愉快そうに笑う。
そして、彼はここで不親切にもくるりと背を向け、肩からひょこっとボビーの顔を出した。


『バイバーイ♪』



「・・・・何・・なんでしょう、あの人は」

マリンと共にこの場に残されたのは、ひゅるるーと足元を吹く風ばかりだった。


+++


「世の中には理解しようなどと思わない方が良い人種もおる。あの王子はその筆頭であろうよ」
「そんなものでしょうか」
「そんなものじゃ。多くは私こそをそう思うておるのかもしれぬがな。私など、ここの価値観や考え方の違いに戸惑うことだらけじゃからの」

葵は箸を止めることなく答える。
マリンが作る日本料理に似せたものは、素材の違いさえなければ本物と同じ味が作れるのではと思われる程で、このまま元の世界へ帰る術がないなら、本気で嫁に欲しい所だ。

「騎士院の生活は・・合いませんか?」

外したエプロンをするすると慣れた手付きでたたみながら、マリンが葵を振り返った。
柔らかい茶色の髪が、細い背中の上でワンテンポ遅れてその動きを追う。

「いや、少なくとも魔法院や神殿よりは、私にはここが合うておるのであろうよ。
 だがな、例えば、ある理由があり私が自らの腹を切り命を絶ったとする。おぬしらはそれを理解出来ぬ」
「!!どどどどんな理由でもっ・・自分の命を絶つのは許されませんよぅ!」
「ははは、まあ慌てるな。私の国ではそうではない。
 騎士道では善悪の基準を絶対的に公平な神に委ねるが、武士道では周囲の人間によるところが大きい。この違いがわかるか?」
「えと、あの・・」
「我らの国で我らを裁くは神の視点ではない。ただの人よ。ただの人に恥じぬように生きておる」
「裁判はこの国でも行われますよ?」
「そう言うておるのではないよ・・・まあ良い。この国がこの国に至った歴史があるように、私の国にもそれがある。
 理解せずとも、あるものとして受け入れよという事じゃな。人にはそれが、難しいがのう」

葵は困ったようなマリンの顔を見て、切腹では例えが悪かったかと苦笑した。

「私は武士ではない。巫女じゃ。元の世界でも腹は切らぬよ。安心せい」

葵はマリンが育った環境を考え、ここで話を終わらせた。
この国の神は、葵にとっては異国の神だ。否定はしないが、自らの心の内に存在するものではない。
桜の花が、マリンの中には存在しないように。
話せば花の形は容易く想像も出来ようが、香りは無理であろう。
知らなければ、それを知る者と同じに感じる事は出来ないのだ。


+++


日が落ち切らない内に、騎士院を出る。
石畳、マリンの後を付いて歩く影は長い。

(恥ずかしい・・本当に、恥ずかしい事だったんだ)

みんな知っているふうだった。
つまり、それは、自分がそれだけ浮かれていたからだ。
孤児院での何一つ新しい事は起きない毎日が一変し、そして、好きな人が出来た。
『もし、迎えに来たのが彼でなかったら?』
シリウスの言葉は、冗談ではなかったのかもしれない。
その程度の気持ちだと失笑を買う程に、自分は浮かれていたのだ。
そう思うと、泣きたい程恥ずかしくて、目尻に涙が溜まった。

生来の素質の差があるにせよ、記憶のないアクアや自国の存在を誰も知らない場所にいる葵に比べて、
勉学も武術も魔法も全て彼らに劣るこの有様。
しているつもりの努力は、実は全然足りなかったのだと思い知らされた。

夕陽の色は、西の空にわずかに残るばかり。
行き交う人々の輪郭は曖昧で、知り合いとそうでない人の区別もつきかねる中を、俯き歩く。
とぼとぼ・・。その様子を例えるなら、これを越す言葉はない。


「騎士院からの帰りですか?ならば、もっと早くに出なさい」

雑踏のざわめきに紛れたその声に、マリンはひどく鈍い反応で振り返った。

「神殿に・・いつ帰ってらしたんですか?」
「今日の午後です」
「そうですか」

辺り障りのない言葉を交わし、神殿に入るとすぐに別れた。



    だけど、こうして離れてしまえば、わたしは、やはり捜してしまうのだ。

    いつもいつも、姿を捜してしまうのだ。


+++


「また、来てくれますよね?」

ただでさえ、マリンは年下の子供に弱い。
耳を垂れた子犬のような目でそんな事を言われたら、きゅうう~っと抱きしめてしまいたくなるけれど、その気持ちは抑えた。
相手は、この国で一番偉い人なのだ。


「ええ、また来させて頂きますね。今度は、外でもお会いしたいです。街中で『プル様』に偶然に会うのは中々ですけど」
「待ち合わせ・・とか、してみたいんですけどね。都合がつかなくて『すっぽかす』という事をしそうですから」

残念そうなプルートを見て、ぽんと手を打ち、マリンはひとつ提案をした。

「してみませんか?『待ち合わせ』を」
「でも・・」
「大丈夫。20分待っても来なかったら、あきらめますから。ね?」
「本当に、いつまでも待ったりしませんか?」
「はいっ、大丈夫ですよ~」

にこにこと笑うマリンにつられて、プルートも頬を人差し指でかきつつ、嬉しそうに笑う。
時折見せる子供の顔が可愛らしいと、その様子をマリンは微笑ましく思う。
男の子にウッカリ『可愛い』なんて言うと、機嫌を損ねられたりするのだけれど、可愛いものは可愛いのだ。

「じゃあ・・しましょうか『待ち合わせ』。えと、この前の喫茶店でいかがでしょう?あなたの次の休日は、明後日の日曜日ですか?」
「いえ、明後日はソロイさんに補習を受けるように言われてまして・・」

自分ばかりが補習を受けている事が恥ずかしく、マリンは赤くなり指をもじもじとさせた。
この時は、本当に、その事が恥ずかしかっただけなのだ。
けれど、プルートは、不機嫌なような、悲しいような、何処か痛いような、そんな顔をした。

「何時に、ですか?補習は」
「えと、2時にソロイさんの部屋に来るようにと言われています」
「そうですか。では、明後日の2時に待ってますから」
「え?・・ええ?」

いきなり戻った絶対的な『プルート様口調』。
マリンは慌てて顔を上げ、両手を自分の胸の前にやり訴えた。

「無理ですっ。わたし、この体しかないんですから無理ですっ」
「・・・冗談です。じゃあ、その次の休日の2時にしましょう」
「あは・・驚きましたよ。はい、じゃあ、楽しみにしていますね」

緑と紫の瞳は、ぺこりと頭を下げてマリンが出て行った扉を、いつまでもぼんやり見ていた。
困らせたいわけじゃない。だから、・・でも、もし、先に約束したのがソロイでなく、例えば手紙のような方法で、お互いが同じ時間を言ったとしたら、そして、どちらか一人を選ばなければならないとしたら。
そう、崖っぷちに二人がぶらさがり、一人だけなら助けられるという選択のように。そしたら、彼女はどうするのだろう?
そんな事を考えている自分が可笑しくて、くくっと笑う。
我ながら、嫌な笑い方だとプルートは思った。
心の何処かで、マリンが心ひかれているのがアークやリュートやシリウスでなく、ソロイで良かったと思っているのだ。

だって、

ソロイはきっと、マリンに手を伸ばしたりしないだろうから。


+++


『貴女はどれも苦手ですよ』

そう言われて、返す言葉もなく頭を垂れた前回よりは進歩していたい。
せめて、何か一つくらい、人よりも出来るものがあったら、心底そう思う。

ソロイは怒鳴るわけでも体罰をするわけでもない。
ただ、解けなければ切られそうな程に張り詰めた空気が、マリンの疲れを倍増させるのだ。
二人きりの空間に心ときめかせている余裕は、ない。

「何でも興味を持って勉強すれば身につくものですが、歴史は特にそうです。
 貴女は、ご自分が今生きているこの世界に至った歴史に興味がないのですか?」
「そういうわけではないんですけど・・年号の暗記は苦手で・・」

また『貴女はどれも苦手』だと言われそうで、声がだんだんに小さくなる。
ソロイが思うように進まない補習にうんざりしているのではと思うと、至近距離にある筈の彼の顔も見れない。
視界の端で、ソロイの長い黒髪が揺れるのだけを感じていた。

「あ」
「何ですか?」
「いえ・・ちょっと思い出した事が」
「何でしょう?」
「いえ、あの、葵さんの事なんです」
「・・・勉強と関係のない事に気をとられているなら、やめますよ」

目を閉じ、眉間に皺。これは、ソロイの『不機嫌になったが、立場上我慢している』の表情だ。
彼は表情豊かな人間ではないので、マリンにもその数パターンしかない表情は読める。

「すみません!いえ、葵さんの国の歴史の事をこの前、少し話してもらったので、それで・・」
「何処にあるかもわからない夢のような国の話よりも、この国とその周囲の国の事をもっと勉強すべきかと思いますが」
「でもっ、葵さんがいた国です!夢なんかじゃ・・ないです」
「だから、何だというんです?」

見据えられて、マリンはびくんと身が竦んだ。
ソロイの金色の瞳は、地を駆ける獣のそれに似ている。この人は本当に怖い人なのだと、改めて思い知る。

『葵さんとソロイ様はあまり仲が良くないから』

そう言ったのはリュートだったか。
仲が良い悪いという表現はソロイには適切ではないけれど、言っている事はわかった。
確かに、二人はそんななのだ。
何かがあってそうなったというよりも、最初から二人の間にはビリビリとしたものを感じていた。

「今日は、ここまでにしましょう。やる気のない者に割く時間は持ち合わせておりません」

そう言って、ソロイは机の上を片付け始めた。大きな手が、ぱたりぱたりと本を閉じる。

「すみません・・」
「いえ、私も補習を詰め過ぎたのかもしれません。休日はやはり、休まれるのに使うべきなのでしょう」

意外にも、優しい言葉が返った。どうやら、怒っているのではないらしい。
不機嫌バロメーターである眉間の皺も、今は消えている。そこで、マリンも片付けをしつつ、さりげなく聞いてみた。

「ソロイさんは、休日には何をされているんですか?」
「私に休日はありません」
「へ?」
「必要ありませんから」

らしい事、この上は無し。けれど、

「・・・誰にでも、休日は必要だと思いますけど・・」
「何をすれば良いのかわかりません」
「したい事をすればいいんですよ?」
「仕事ですね」
「いえ、仕事以外で是非」
「ありません」
「えと、まだ知らないだけで、きっとありますよ!大丈夫ですよ!」

釣りをするソロイ。球技をするソロイ。川遊びをするソロイ。
どれもくらくらとする程、想像力の範囲を越えていたけれど、無責任にも大丈夫だと励ます。
さっきは野生の獣だった眼が、今は先日のプルートのような子犬の目になっているのだ。
励まさずにはいられない。

「では、教えていただけますか?」
「はい?」
「ですから、休日の過ごし方をです」
「わたしが、ですか?」
「嫌でなければ」
「いえ・・いえっ、嫌じゃないです。全然、嫌じゃないです!わたしでよければ!」

スケジュール帳をばばっと開き、次の次の休日を確認する。

「この日、この日でいかがでしょうっ!待ち合わせは神殿前11時で!」
「はい。わかりました」

予想外の展開に舞い上がりそうになりながらも、マリンはすかさず話をまとめていた。
もう、浮かれたりしない。そう決めたのは本当だ。
けれど、
勉強も仕事も関係なく、ソロイと一緒にいられるなんて、一生に一度の機会だと思ったのだから。


+++


「じゃあ、今日はこれでお終いにしようか」
「え?・・あ、もうこんな時間ですか!」

マリンはリュートが差し出した懐中時計を見て驚いた。針は17時を少し回っている。
相手がソロイならぐったりとしてしまう夕刻。けれど、リュートはマリンをその半分も疲れさせない。
それでいて、習った事はしっかりと身についている。相性の良さもあるだろうが、つまり、彼は教え上手なのだ。
マリンが他よりも頻繁に彼の所に勉強を習いに来るようになったのも、自然の成り行きだった。


「頑張ったね。お茶をいれ直すから、待ってて」
「ありがとうございます。でも、日が落ちない内に帰らないと、ソロイさんに怒られますから」

曇り空も手伝って、窓の外はもう薄っすらと暗い。
帰りが遅くなり、親に怒られるのを心配する子供のように慌てて教科書とノートを鞄にしまう様子が可愛くて、
リュートは目を伏せ、くすっと笑う。


「大丈夫だよ。僕が送るから」

そう言って奥へ姿を消したリュートに挨拶もなく帰るわけにも行かず、マリンはもう1度椅子に腰を下ろした。
確かに、リュートが送ってくれるのなら、何も心配はない。



「え?次の休日ですか?」
「うん。本格的に寒くなる前に、また三人で出かけない?」
「ごめんなさい。次はお約束がありまして・・」
「そう。残念だね」
「せっかく誘って頂いたのに、ごめんなさい」
「ううん。気にしないで」

誰と出かけるのかなんて事は、簡単に聞き出せる。けれど、リュートはにっこりと笑うだけで、聞かなかった。
また葵に(おぬしらがぐすぐすしておるからじゃ!)と怒られるんだろうなあとか、そんな事を冷めた気持ちで考えていた。

マリンは両手でカップを持ち、こくんと紅茶を飲んでいる。
このマリンのしぐさが好きで、リュートはつい、お茶をすすめてしまうのだ。
それでも、夜に眠れなくなると気の毒だから、いつも2杯でやめておく。

騎士院を出ると、リュートは神殿とは逆の方向へ歩き出した。
戸惑うマリンを振り返り、悪戯っぽく笑う。

「ね、寄り道しちゃおう」
「え?何処へ、ですか?」

リュートに手を引かれ来たのは、潮の匂いが体に纏いつく海岸。
マリンのもう片方の手には、勉強道具を入れた鞄とお土産のドーナツ。
さっきのお茶で出されたのだが、『夕食が食べられなくなると、ソロイさんに怒られますから』と、包んでもらったのだ。

『ソロイに怒られるから』

口癖のようにマリンは言う。まるで、その言葉に安心するように。
本人も気づかないそれを見抜いたのは、おそらく、シリウスと自分くらいだろうとリュートは思った。
ソロイがマリンを気にかけるのは立場からであるにせよ、誰よりも長くマリンを見ているのは事実で。
その事実にマリンは心ひかれているのだろうと。

いつだったか、アークがマリンに『帰りたいか』と聞いた事がある。
その時、マリンは困ったように笑った。
孤児院とは、そういう場所ではないのだ。育ち、出て行く場所であって、帰る場所ではない。
普通の家のような感覚で聞かれては、苦笑するしかないだろう。
親がいない子供の拠り所無さを、アークに実感として解かれとも思わない。
だから、自分達は、笑ってやり過ごす事に慣れている事も。

「それで」
「はい?」

「それで、それは、恋なの?」

独り言のように呟いたリュートの声は、打ち寄せる波の音に紛れて消えた。


「あの、すみません。何ですか?」

「ううん。帰ろうか。海はやっぱり夏の終わりか、いっそ真冬がいいね。今は・・中途半端だ」
「夏の終わりも、真冬も、どちらの海も何だか淋しいですね」
「だけど、好きだよ」

またリュートに手を引かれて、町を抜ける。
帰宅する人々と擦れ違いながら、マリンは視界に入ったリュートの髪を見てふと思った。

「ふふっ・・。ね、リュートさん。わたしたち、髪の色が似てるから、兄妹に見えるでしょうか?」
「ああ、これね、染めてるんだよ」
「え!?」
「黒いのって、あまり好きじゃないからさ」
「そうだったんですか!」
「天然じゃなくて、ごめんね」
「いえ、あやまるような事じゃないですよ。驚いただけです」

白い壁に囲まれた神殿の前で、リュートは手を離しマリンと別れた。
彼は、神殿の中には入れない。
自分を拒絶する建物を見上げもせず、背を向け、立ち去る際に、波音に消された言葉を、もう一度口にしてみる。



    それで、それは、恋なの?



知っている。
それは、恋ではないなんて、誰に言えるというのだろう。
それでも、恋のような、恋でないような、その不安定な心の行方に期待してしまうのだ。

今は、この愚かしさを、断切る術が欲しかった。


+++


「神殿には他に女性がおりませんし、私に説明をし難い買い物もあるでしょうから、必要なものはこれで購入してください」

そう言って、ソロイがマリンに渡した金額は、自由になるお金を持ち慣れていないマリンには高額だった。
大きな目で手にしたお金を見つめられ、ソロイはコホンと軽く咳払いをし言い足す。

「贅沢をさせる為のものではありませんので、・・そうですね、それで1ヶ月分と思ってください」
「半年はこれでじゅーぶんですよ!だって・・どうしても必要なものって、そんなに無いですから・・」
「余ったなら、菓子でも買えばよろしい。
 それに、女性は小物を買うのが好きなのでしょう?例えば、そのような髪を結うものとか」

また、何かの本で読んだのだろう。
どうもソロイは女性というものを一括りでしか考えられないようだ。
マリンは白いリボンに手をやり、曖昧に笑った。
これも長く使っているので、よく見れば布目がよれている。
何でも決定的に使用不可能になるまで使うのが当たり前の生活だったのだから、
少し古くなったくらいで新しい物を買うなんて事は思いつかない。
マリンはとりあえずお金を受け取り、残った分は選定期間が終わり、ここを去る時に返そうと思った。

人よりも大きな背中を見送り、あの後ろについて周囲が何も見えないままにここへ来た頃の事を思い出す。
そして、あれから耳に残り続けるシリウスの声。

『だって、君を連れて来たのが彼ではなく、私だったら』

だったら、どうだというのだろう。
自分は、ただ、誰かに連れて行かれたかったのだろうかと、手を見る。
星の形をした印。
これが、彼らの望む印でない事を、知っている。
それでも、ここで学べと言われた事に努力をしている。『星の娘』に選ばれるという形では実らないと知っていても。
何故なら、『星の娘』かもしれないという可能性を他者に認められる事だけが、自分がここにいる唯一の存在価値なのだから。


+++


「今日はですねえ、憧れの『あれ』を食べてみようと思うのです」

(ふっふっふ)っと企み顔で、マリンはガラス棚に飾ってある見本のひとつを指差した。
アイスクリームにチョコレートシロップがたっぷりとかけられ、ホイップクリームとフルーツで飾り付けされたチョコレートパフェ。
喫茶店なら何処にでもあるありふれたメニューだけれど、マリンは食べた事がない。
それは、向かいに座るプルートも同じ。

「随分と楽しい形ですね。じゃあ、私も今日はそれにしてみます」

ウェイトレスを呼びとめ、注文をするプルートの様子に最初の頃のぎこちなさはない。
何度か一人でもここに入り、喫茶店独特の時間の流れと空間を楽しんでいるようだ。

「実は・・このおサイフには大金が入っているのですよ・・」

マリンは口元に手を添え、いかにも重大且つ秘密の話をするようにプルートに顔を寄せ、小声で告げた。

「お小遣いをもらったのですよ・・生活用品を買うためのものなんですけれど、余ったら自由に使ってもいいって・・
 ソロイさんから贅沢させるためのものではないと釘を刺されていますけど・・
 一度くらい思いきってもいいかな・・なんて思ったりするのです・・」

思いきって、思いきって、チョコレートパフェ。
何ともささやかな贅沢で、ソロイでさえ怒りはしないだろう。
くすっと笑いながら、プルートは手の平でマリンのおサイフを優しく押しやった。

「ここは私が出しますよ」
「え?それはダメですよ。わたしの方が年上なんですから」
「でもね、あなたは女の子で、私は男ですから、ここは私に持たせてくださった方が嬉しいですよ」
「えと・・じゃあ、ごちそうになります」

丁度ウェイトレスが銀色のトレイにパフェを二つ乗せてやって来て、マリンの目が子供のようにそれを追う。
そして、ことりと机の上に置かれた途端、マリンは困惑した様子で目の前に置かれたパフェをあらゆる角度から見た。

「どれから食べたらよろしいのでしょう・・このバナナでしょうか?でも、そうするとこちらが崩れそうですし・・」
「とりあえず、この器よりはみ出した部分を溶けない内に攻めましょうか」
「そうですね。ここを食べて真中に寄せれば・・あ、美味しいです!でも・・今更ですけど、カロリー・・高そうですね。
 後で一緒に砂浜を走りましょうね!わたし、剣の稽古をする時の服に着替えて来ますからっ」

きらきらしい背景をしょってスローモーションでアハハハハウフフフフの世界ではなく、むしろスポ根。
ひたすら砂浜を往復する図を想像すると、キャラにもなく顔に縦線が入ったプルートだが、
マリンと一緒ならそれも楽しかろうと思い承諾した。
これから、骨も軋む程の成長期に入る身としては、足腰を鍛えておくのも悪くない。


「美味しいですねぇ~・・バニラだけよりずっと美味しいですねぇ」

孤児院で食べたのは、小さなお皿に乗った半球型のバニラアイス。それが、月に一度のお楽しみ。
いつも決まった日に、決まった時間に食べる、心の中で埃を被ったようなお楽しみ。

「どうかしましたか?」

手のとまったマリンを見て、プルートが首を傾げている。

「いえ、・・ああっ!ぼうっとしている内に随分と溶けてしまいましたっ」

プルートはいつのまにか先に食べ終えて、器をウェイトレスに下げてもらっている。
丸い形の眼鏡をかけ直し、わたわたと溶けゆくアイスと格闘しているマリンを見て微笑んだ。

「ところで、最近はリュートの所によく行くようですが」
「はい。皆様お忙しいのはわかっているんですけど、リュートさんは嫌な顔をしないからつい・・それに、とても教えるのがお上手ですし」
「『私』は、嫌な顔をしていましたか?」
「!!!いえっ今は全然っ!えと、ですね・・あー・・」

そう、最初はしていたとも。あからさまに。トゲトゲしい捨てゼリフ付きで。
プルートは心の中で呟いた。
自覚があるので、ここは苦笑するしかない。
けれど、焦って言葉を選ぶマリンが可愛くて、つい、意地悪を言ってしまう。

「『私』は、教えるのが下手ですか?」
「とんでもない!とても丁寧に教えてくださいますし!」
「でも・・最近、『私』の所には勉強に来られませんし・・」
「あ・・だって、わたしに使う時間より、外に出る時間に使って欲しいですから」

ああ、それで。と、納得した。確かにプルートの秘密を知った以上、マリンならそう考えるだろう。

誰の目にもとまらないただの少年として、一人であちこちを散策するのは楽しかった。
それが、今は、少し物足りないのだ。
こうして一緒に、同じ場所にいて、同じ思い出を持つ楽しさに比べれば。
口にしてしまえば、今よりももっと、一緒にいてくれるだろうか。
それとも、距離を取ろうとするだろうか。
プルートはそっと自分の首に手をやった。
喉の奥でせき止められた言葉が、だんだんに重くなっていくのが怖かった。


「・・降誕祭、一緒に過ごせますか?」
「降誕祭は、いつも以上にお忙しいんじゃないんですか?」
「少しだけですけど、時間を作りますから」
「じゃあ、また『待ち合わせ』ですね。『20分ルール』でいきますよ?」

マリンはくすくすと笑って小指を指きりの形にしてみせた。
二人の間だけに通じるものが嬉しくて、プルートも笑い、小指を曲げてみせた。


+++


「今日の休日は一緒に遊べると思うたに・・」
「ごめんなさい。でも、こちらのお約束が先なんですから、また次の休日に遊びましょうね?」

くたりとテーブルに顎を乗せ、葵が子供のように拗ねている。
先の休日はどうしても外せない用事があり、騎士院の仲間にマリンの相手を頼んだ葵だが、
リュートが誘った時にはすでに先約があったと聞き、彼が予想した通り『おぬしらがぐすぐすしておるからじゃ!』と怒ってしまった。
とりあえずソロイの行動をチェックして、マリンと一緒でなかった事を確かめ、安堵していたのに。

「今日、ソロイ殿と出かけるとはのう・・」
「じゃあ、夜にまたお泊りに行き・・ああっ!これ以上つまみ食いしないでくださいよう~っ」

菜箸でおべんとう箱におかずを詰めているマリンが抗議の声をあげたが、葵はきれいな顔が崩れるのも気にせず、もぐもぐと頬ばった。
そんな葵のささやか(?)な邪魔も虚しく、弁当は手際良く出来上がって行く。
タコさんウインナにウサリンゴ。星型に切り抜いたニンジン。まん丸コロッケ。ロール形の野菜サンド。
相手は本当に幼稚園児ではなくソロイなのかと確認したくなるラブリーな弁当が。

飲み物の瓶と一緒にバスケットに入れて、チェックの布で覆い、落ちないように両端を取っ手に結ぶ。
完了。
時計の針は、10時45分を指していた。

「プルート殿にな、以前、ソロイ殿を嫌う理由を聞かれて・・まあ、嫌っておるのとは違うが、
 説明するのも面倒じゃからそれには黙って、プルート殿には嫌いな人間はおらぬのかと聞いた。
 そしたらの、我は誰も憎まないように心がけておるし、それが使命じゃと答えおった」
「・・はい?」
「僭越ながら不憫に思うたものじゃ」

葵はすくっと立ち上がると、その長身をまっすぐマリンに向けた。
マリンは葵の姿勢の良さに正されるようにつられて背筋を伸ばした。

「あの・・な、おぬしにな、言うておかねばならぬ事がある。まあ・・こちらも色々とあってな。今晩、待っておるから、その時に」

珍しく歯切れの悪い葵の様子が気になったが、ぽんと背中を押されたのでそのまま神殿前へと向かった。
ソロイはもう来ていて、腕を組み塀にもたれている。
居心地悪そうに横に立つ門番が気の毒で、マリンは急いで彼の元へと駆け寄った。



「わたしの後をついて来てください。参考までに、わたしの『休日の過ごし方』を見て頂きます」
「わかりました」

街へと続く長い一本道。マリンの後ろをソロイがついて行く。
背中で揺れる髪の色が、室内で見るよりも明るい。
少女の髪は、例えて言うならば、蜘蛛の糸に似ていた。
ピンと張ったそれでなく、切れて空中をふわふわと頼りなく舞う糸に。

まずは広場の噴水に座り、マリンはぽむぽむと隣を叩いた。
座れという意味を察し、大人二人分ほどを空けてソロイも座る。
のんびりと散歩を楽しむ季節ではなく、行き過ぎる人々も言葉少なく早足だ。
そうして5分を過ぎた頃、この非生産的な状況に耐えかねたソロイがマリンに問う。

「それで、あなたは今、何をしているのですか?」
「街の一部になっています」

ソロイはその言葉の含むところを考えてみた。しかしすぐに、マリンの言う事などいつも言葉通りなのだと気づく。

「私は私です。あなたの感覚はよくわかりません」
「ただ街の様子を見ているだけですが、楽しくないですか?」
「街の様子を見る事は、私の仕事のひとつです」
「・・・次、次へ行きましょうっ」

大通りに出ると、それぞれ専門の商品を並べた商店が港まで続く。
マリンはここを30分以内に通り抜けられた事がない。
特に香料の小ビンは色々な色や形をしていて、それを見ているのが大好きだった。

マリンはわざとソロイを振り返らなかったし、大通りを抜けるまではずっと彼の存在を無視した。
一人でいつも過ごしているままを見て欲しかったからだ。

港へと続く石段の上で、マリンはようやく後ろを振り返った。
ちゃんとそこにいたソロイにホッとし、えへんと先生ぶって胸をはった。

「さて、このように、わたしはわたしの好きな物を見て回りましたが、ソロイさんはソロイさんの好きな物を見て回れば楽しいのですよ」
「ありません」

マリンが小1時間かけてした事を、ソロイはたった一言で終わらせた。さすがに、少女の笑顔がぴしりと固まる。
それでも何とか気を取り直し、マリンはこれまでのソロイと自分との会話を振り返ってみた。

『才の無い者に教授するのは苦痛だな…』『くだらぬ時間を過ごしてしまった…』『努力の無い者に、時間をさく気は』

・・・飛ばそう。この辺りは飛ばそう。と、マリンは記憶の早送りをした。

『古文書の解析など・・』

「そう!ソロイさんは古文書の解読がお好きなのでした!骨董店ならきっとソロイさんのお好きな物がっ」
「そういうものは神殿まで届けさせるようになっております」
「うっ・・そうですかあ。自分の足で捜すのが楽しいと思うんですけど・・」

街中にいるとソロイが仕事モードに入ってしまうので、海を見ながらお弁当を食べる事にした。
ひゅるるるーっと海風が遮るものもなく吹きつけ、はっきり言って寒い。
けれど、海岸は神殿以外で唯一ソロイが落ち着くと言った場所なのだ。マリンは気合いで寒さを我慢した。
ソロイは寒さを感じる様子もなく、タコさんウインナもウサリンゴも、スープとパンだけの食事と同じ顔で口に運ぶ。
これでは、幼稚園児相手の方が、まだ作りがいがあるというものだ。

「外でお弁当を食べるならやはり春か秋が良いですねえ」
「そうなのですか」
「それはそうですよ。夏は暑さで傷みますし、冬は・・この通りですし」

箸を持つ手も冷たく、具は冷え過ぎて固くなってしまっている。マリンは力なく笑うしかなかった。
作りたてを食べた葵が結果的には一番ちゃっかりだ。

「これは、降誕祭の飾りのようですね」

形など見ていないと思われたが、目にはちゃんと映っていたらしい。
ソロイは星型に切り抜かれたニンジンを箸先で持ち上げ、そう言って口に運んだ。
以前、好きな行事は何かと問うと、彼は降誕祭だと答えた。
『美しい飾り付けも見られますし』と、言い足しもした。
『敢えて言えば』程度にせよ、ソロイの発言としては珍しいものだった。

「降誕祭ですかぁ・・もうすぐ飾り付けが見られますね」
「降誕祭に行きたいのなら、時間を作りますが」
「え?」
「ですから、飾りを見たいのであれば。神殿は忙しいので、少しの間だけですが」
「ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ」
「しかし、夜に一人での外出は許可出来ません」
「えと・・一人じゃないですから、大丈夫です」
「葵殿ですか?女性だけでというのも、許可出来ません」
「いえ、女性じゃないので大丈夫です・・あのっ、紅茶いかがですかっ!?こちらはまだ熱いですよ~体が温もりますよ!
 あ、紅茶といえばですねっ」

誰と行くのかと問われる前に、話題を変えなければとマリンは思った。
ソロイを相手に『おいしい紅茶のいれ方』や『紅茶に関する豆知識』を熱弁する様子は思いきり不自然であったが止まらない。
十分も一人で喋りっぱなしで、マリンの喉はカラカラになった。
肩で息をするマリンに、ソロイは紅茶を注いで差し出す。

「それで、誰と行くのですか?」
「ぶっ」

ソロイは、マリンがかけた時間を一瞬で無かった事にするのが得意だった。

「・・・・・秘密です・・」

紅茶を噴出して汚したスカートを染抜きしつつ、マリンは小声で言う。

「私はあなたの行動を把握しておかなければなりません」
「それでも、秘密なのです。このお金の使い道と一緒です」

マリンはおサイフを両手で持ち、ソロイに突き出した。

「ソロイさんにも言えない事は、あるのです」


来た道を戻り、神殿へと帰る。
夏場なら一番暑く、人通りもぱたりと少なくなる時間帯も、
この季節は日が傾き寒くなる前に買物を済ませようとする人々で大通りは更に賑わっていた。
並ばず、先へも行かず、まだ自分の後ろをついて歩くソロイを振り返る。でも、声は行きと同じくかけなかった。

人気のない一本道、高台に神殿を見上げる場所まで来て、ソロイはマリンを追い越し、その前に立つ。
休日の過ごし方ごっこの終わりである。

「今日の礼です」

小さな包みを渡されても、マリンは不思議には思わなかった。
むしろ、律儀なソロイらしいと、そう感じた。
中に入っていたのは絹の赤いリボン。

「きれい・・赤は好きなんです。ありがとうございます。このコートも、神殿の人が買ってくれたんです。
 皆さん、とてもよくしてくださって・・でも、選ばれなかったら、ごめんなさい」
「諦めるような発言は控えてください」
「ソロイさんは、ソロイさんでなく、他の者になれと言われたらどうしますか?」
「『なれ』と言っているのではありません。『そう』であるかどうかを見定めようとしているのです」

白々しいセリフである事は承知。けれど、認めてしまうわけにはいかないのだ。
そんな事すら、三人の娘達には見抜かれていると知っていても。
そんなソロイを見逃すように、マリンはゆっくりと瞬きをした後、静かに呟いた。

「わたしは、人の波に紛れてしまえば見つけられない程の、ごくありふれた人間です。ソロイさんも、わたしを見つけられません」
「あなたは気づきませんでしたが、私は一度、あなたから離れました。これを購入する為に」

ソロイはマリンの手の中にある物を、マリンの手ごと持ち上げた。
今日、買った。それを知り、マリンは驚く。

「見つけました」
「え?」
「私は、すぐにあなたを見つけました。特別でなければ見つからないというのなら、何故、私はあなたを見つけたのですか?」
「それは・・わたしが近くにいる事がわかっていたからですよ」
「ですが」

自分はどんな答えが欲しかったというのか、噛み合わないような気持ち悪さがソロイを苛立たせる。
知りたい事はもっと、違う。けれど、何が。
この手をずっと放さず掴んでいれば、答えに近づけるような気がした。




たたたたたーーーっ

その足音は軽やかだけれど、履物のせいで独特の音を立てる。
だから、後ろからものすごい勢いで走って来る人物が葵だという事は、マリンにも分かった。
振り向かずに分かった理由は、もうひとつある。ソロイの表情だ。
他の誰に向けられるものとも違うソロイの目。
それが、どのような感情ゆえなのか分からないけれど、葵は彼にとって特別な存在なのだ。
そう思った時、マリンは胸の痛みの正体を知った。
そこまで考えた所で、葵はマリンの手をぐいっと引っ張り、ソロイから離した。

「行くぞ」
「はい?」
「泊まりに来る約束であろう。もう許可は取ってある」
「え?でも、着替えをっ」
「私のを貸すゆえ問題ない」
「あ・・ではっ、ソロイさんこれで失礼しますーっ」

そう言っても、ソロイは葵を見ている。
マリンの声も、届いていないようだった。






  ああ 胸が痛いなあ




風呂を使い、葵が作ったという浴衣を着せてもらう。
クリーム色の地に薄紅色や薄黄緑のウサギが野原を飛び跳ねているようなシルエットの模様。
可愛くて嬉しいけれど、
「起きた時、この状態を保っている自信はないです」
マリンは襟に手をやり、小さな声で恥ずかしそうに言った。

「冬なのだからどんな姿になっても布団の中じゃ。案ずることはない。さて、これは何に見える?」

葵の手にあるものは、見た目通りだというのならわざわざ問うのもおかしい。
マリンは首を傾げて少し考えてみた。

「短刀に見えますが・・んー・・・実は刃は付いてなくて中は小物入れになっているとかでしょうか?」
「いや、短刀じゃ」
「・・・葵さん」

からかわれたと思い、マリンは軽く頬を膨らませてみせてから笑った。
しかし、葵は笑っていない。

「短刀じゃ。しかし、ただの短刀ではない。私はずっとこれを捜していた。手に入れた経緯はここでは省く」

プルートがどんな覚悟でこれを葵に返したのか、それを葵の口からマリンに告げるわけにはいかなかった。
『結果、私はソロイを失うのでしょう。愚かな選択です』
それで、望むものが手に入る取引きもないのに。少年は、そんな言葉が続きそうな顔をしていた。


葵は、マリンに紅丸の事を話した。
苦労はした。
『式』を説明しようとしても、ここには、それを語る言葉がない。
結局、考えは上手くまとまらぬまま、10分ほども話し続けた。

「・・・それが、私と紅丸の関係じゃ。
 これが私の手に戻った以上、紅丸もあるべき姿に戻るだけじゃ。おぬしは紅丸と話をしようなどと思うてはならぬ。
 心を通わせようなどと思えばつけこまれる。おぬしは食われて死ぬるぞ」

重要なのは、マリンをソロイから遠ざける事だ。
悲しませても、泣かせてもいい。生きていれば、何度でもやり直せる。

マリンは黙って聞いていた。
拍子抜けするほど、何も聞かなかったし、言わなかった。それでも、葵は言い聞かせるように続けた。

「我らの国ではな、人でない者が沢山身近に暮しておる。同じ家に棲みもする。
 だが、お互い領域を侵さぬ事で、さして困った事も起こらぬ。
 たまに、それらは子供のいたずらのような事もするが、我らも『何故』と考えはせぬ。まあ、害のない事ばかりじゃからの。
 それに、理解出来るとは思っておらぬ。人でないものを人の考えで分かろうとしてもそれは無理というものじゃ・・」

マリンが片思いだと思い込んでいる事は、言い方は悪いが好都合だった。
だから、気づいてくれるなと葵は願う。
恋など大抵は一方的な想いだ。失っても立ち直る力を人は持っている。
けれど、両想いならそうはいかない。


+++


降誕祭の日。
連れ立って歩くには珍しい二人に、それを知っている人々が振り返る。

「誘うてもおぬしは多忙を理由に断ると思うたよ」
「生憎、少しの時間なら取れましたので。立場上、断るわけにもいきませんので・・」
「立場上・・ああ、私は『星の娘候補』であったな」
「そのような態度を口にされては困ります」
「わかった。黙っていよう」

街の飾り付けを見ながらの為、人の流れはいつもよりもゆったりとしている。
そんな中、二人だけが加速装置でもついているかのように早足だ。
思いきり浮いているわけだが、当の本人たちは気にならないもので、サカサカと歩いている内にとうとう海にぶち当たってしまった。

「・・・・話があるのならさっさとしたらどうです?それとも、これは頭を冷やせという意味ですか?」
「ほう、熱くなっておる自覚はあったのか。海に来たのは計らずの事だが、丁度良い。
 おぬしがここから生まれたというのであれば、還すまで」
「貴女が刀を振りかざそうとも、私は私を保つ」
「保ってどうする。この国も変わるぞ。プルート殿さえ、だ。おぬしだけが変わらずにいるつもりか」
「私は、必要ないと?」


+++


「ありがとうございます!とても良い手触りです」

実は、葵からもリボンをもらっていた。薄い薄いピンクのリボンで、葵はこれが桜の色だと言った。
皆がリボンをくれるので、やはり、いつも結んでいたリボンはみすぼらしかったのだなと恥ずかしく思うけれど、
ここは素直に嬉しさの方が勝る。何といっても、沢山の中から自分に選んでくれたリボンなのだ。

「ちょっと、失礼します」

プルートの指がするりとリボンを解き、そして、自分がプレゼントしたばかりの新しい白いリボンを結んだ。

「あの・・あなたに赤は似合いますが、そのリボンは・・小さな子供のようで・・」

遠慮がちな声で言う。
マリンがさっきまでしていたのは、ソロイにもらったリボンだ。今はプルートによって解かれ、手の平にある。

「そうなんです。これは・・こんなに羽根の大きな赤いリボンは小さな子供がするものなんです。
 しかも、普段ではなくて、お祭りや、お祝いや、そんな時に付けるのだけど・・・」
「あ・・それで降誕祭の今日はそれを付けてたのですね。すみません。気を悪くしましたか?」
「違うのです。ソロイさんは、本当になんにも分からない人なんだなあって・・そう思うとおかしくて・・あんなに強くて頭も良くて、なのに、こんな事もわからないなんて・・」

じわりと視界がぼやける。本当に、ソロイが好きだ。その想いが溢れ出すように。

「泣かないでください」

濡れた頬に触れた手が、そのまま髪を梳くように後ろに伸びて、二人はひとつの影になった。
マリンよりも小さいけれど、地にしっかりと立った男の子の体だ。

「ごめんなさい。せっかくの降誕祭なのに・・」
「違うんです。ソロイの事で泣かないでください」
「ごめんなさい」


「あなたが私を好きになってくれる方法があるなら、それがどんな事でもするのに」

「ごめんなさい・・」



プルートは腕の力を緩めてゆっくりおろすと、マリンの手を引き歩き始めた。

「・・・まだ、少し時間があります。最後に、海岸までつきあってくれませんか?」


+++


結果を言えば、葵の力が勝った。
だからこその七姫だ。しかし、最後の意地なのか、『紅丸』は刀に戻らない。
さて、どうしたものかと思案していると、人の気配を感じた。
月明かりの下で葵の目がとらえたのは、子供同志のように小さな人影がふたつ。


砂浜に横たわっているのは、ソロイよりもずっと小柄な赤い髪をした異形の者。
プルートもマリンも彼の姿は初めて見た。けれど、二人とも瞬時に何者か分かった。
似た所など何ひとつないのに。いや、同じ者ではないのだから、当然か。
だとしたら、ソロイは何処から生まれたのだろう。
プルートは『そこ』から何が消えても何が生まれても不思議と思わない夜の海を見た。

プルートの横に立っていたマリンが、1歩、2歩と紅丸に近づく。

「はじめまして、ですね。わたしはあなたを知りません」
「マリン・・おぬしの声は聞こえぬよ」

構わず、マリンは続ける。

「わたしはあなたを知らない。だけど、ソロイさんなら知っています。一緒に過ごした時間があるのです。
 葵さんとあなたがそうだったように、わたしにもあるのです。譲れないのです」

最後の言葉は、葵に言った。  
葵がいつも一緒にいたのは、紅丸だ。異国で一人捜し続けて、やっと見つかった。
だから、葵と自分の望みが相容れない事が、すまないとも、残念だとも思った。

「プルート様・・ごめんなさい。でも、わたしも同じです。片思いって・・胸が痛いですねえ」
「ソロイはあなたが好きですよ」
「プルート殿!?」

葵の慌てた声とは対照的な、落ち着いたプルートの声。
初めて会った頃の声だ。マリンは、プルートの言葉に驚きながらも、もう『プル』には二度と会えないのだと感じた。

「言ったでしょう?あなたが私を好きになってくれる方法があるなら、それがどんな事でもするって。本気ですよ。
 でも、ないのでしょう?それなら・・・あなたは勝手に幸せになればいい」
「この姿を見ても、そのような事を言われるか。もうソロイ殿の姿を保てぬよ・・私も言うたであろう?
 紅丸は力があるゆえ人に似た姿を取る事が出来るが、人ではない。
 ソロイ殿の心が人のそれでも、紅丸を抑え続けるのは限界という事じゃ。どう幸せになれと言われるのじゃ」

かつて見た食われた者の惨い最期を思い出してしまったのか、葵の整った顔がくっと歪む。
いかに人が誰かを想う心が美しいものでも、あんな姿で生を終えて良いはずはない。
葵はプルート程、ソロイの心を信用していない。

波の音しかしない場所で、誰も波の音など聞こえていなかった。

「・・・誰かの特別になりたい。それは、ずっと、あさましい願いだと思ってた。
 だけど・・わたしはソロイさんの特別になりたい。叶うなんて思ってもみなかった。
 もう一度会える方法があるなら・・・どんな事でも・・プルート様、この言葉、痛いです。よく解かり過ぎて、痛いです」

そう言った後、マリンは紅丸の傍らに膝をつけてじっと黙った。
葵とプルートからは、体全体で何かを感じ取ろうとしているように見えた。



   意識が、目覚める。

   この心がどうやって生まれたのか、この姿をどうやって形取ったのかは、知らない。
      
   
   
   今はただ、強く、強く、自分を呼ぶ声が、この世界に在るべき形を作る。


ソロイの姿が紅丸になった時と同じく、静かに、一瞬で、紅丸はソロイの姿になった。
そこまでを見届けて、プルートと葵は海岸を離れた。

「どうなっても良いのか?」
「だから、言ったでしょう?勝手に幸せになればいい」
「だから、私も言うたであろう?あれは・・・・ふぅ、ここで言うても仕方が無い」
「ええ・・」
「・・・勝手に幸せになってくれると良いな」
「・・・・」
「本当に、良いな」


( 2003年作品 )
以下当時のコメント↓
降誕祭なので神官たちがプルートとソロイを必死で捜してそうだ。もー泣きそうになりながら(笑)
ここで終わるんかい!なラストですが、この後の事は御想像にお任せ・・・・・・・・・・・・・・しちゃうと、
いや、それを補うのが二次創作だろう。アンタがやっているのはそれだろう?と私も思うのでね。
えと、この後ソロイが自分の感情を認めてハッピーエンドです。
そのシーンを何故書かなかったかというと、それは皆様のお察し通りです。
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cetegory : 乙女ゲーム二次創作  ✤   ✤ 
2006年09月10日(日)  13:13 by 菊永まき

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